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ごえもんの誰得育児日記 2017年06月06日(火) 赤子爆誕

仕事帰りにコンビニへ立ち寄り、クリームと黒蜜入りわらび餅を3つ買った。
この日誕生日を迎えた妻へのプレゼントだ。
運命の日を迎えるまであと数時間と迫ったこの夜、家へたどり着いた私を出迎えた者はだれもいなかった。
「なんでやねん……」
ネイティブ丸出しでプリミティブにつぶやいた私は、LINEの着信にここでようやく気がついた。

 

”陣痛は始まってないけど、背中が痛すぎるので病院に行ったら入院になりました”

臨月を迎え、6月2日の予定日をも越えた妻のお腹はあたかものぞみ号のような外観を誇っており、乗車率は210%(推定)。
そんな帰省ラッシュみたいなもんをかかえて歩くために背中に無理な力がかかっていて、ここ最近の妻は少し前に始まった前駆陣痛に加え、背筋の痛みで苦しんでいた。
明日は仕事は休みの日、朝イチで面会に行くことにして、心配で気が狂いそうな私はわらび餅を3つ食べて寝た。

 

明けて運命の6月6日。
病院へ出かけ面会を求め、”分娩室”の前段階である”陣痛室”に通された。
そこには変わり果てた妻の姿があった。
いろんな管が体から枕元の機械へと伸びている。
機械からは、胎児の心拍?が折れ線グラフのように記された紙が、吐き出され続けている。
そして妻は、背中痛に加え陣痛も始まったらしく、それらの激痛を抑えるためにベッドでなかなかのポーズをとらされていた。
さいわい、持って行ったテニスボールは使わず済んだ。
そんなもの何に使うのか知りたい人は、ググってみてください。

 

生まれて初めて、あんなにも苦しんでいる人を目の前で見た。
赤の他人ではなく、普段を見慣れた人だから余計にショックだった。
おそるおそる手を伸ばし腰をさすってみるも、
「……ッ!動かさなくていいから……手を当てるだけでいいから……ッ!」
とか言われ、あたふたする。
陣痛中に手を握ってくれていた夫の指を、激痛のあまりへし折った妻の話を読んだことがあったので、そんなのに比べれば、ね。
あとで聞いたら、一生懸命キツイ言い方にならないようにしてくれていたらしい。

 

あまりに背中が痛すぎていきめない、と妻は帝王切開を申し出た。
医師に、夫の同意と待合室での待機を求められる。
こんなに苦しんでいる人に、もっと頑張れなどと言えるわけがない。
光速で同意し、手術や麻酔のリスクについて説明を受け、書類に何枚もサインをした。

そこからの病院の対応は早かった。
心電図とか撮られ、どこからかいっぱい看護師が集合して来て、ストレッチャーに載せられ手術室へ運ばれて行く妻。
「旦那さんも途中まで一緒に」と言われ、のこのこついていく。
しかし、このドアから向こうは入ってもいいのかなあ、なんかダメっぽい雰囲気だなあ、いいのかなあ、でもなあ、とためらっているうちにドアは閉ざされ、妻と別れの挨拶を交わしそびれた。

 

ドラマみたいに、頑張れっとか言って手を握ったりしなくても良かったものか、と思案していたら、待合室へ追いやられた。
まあ考えてみれば、ドラマはだいたい最悪の結果になるので、妙にドラマチックにして変なフラグを立てなくてよかったのかもしれない。
『ボブ・グリーンの父親日記』を読みながら、待つこと約40分。
「ごえもんさーん、赤ちゃん元気に産まれましたよー」
と、看護師が呼んだ。
フラグを立てなくて本当によかった。